釣りキチおやじの言いたい放題
心の伝統文化をも捨て去ろうとしているこの日本、 荒波にもまれて何処へ行くのか! ただ指を咥えて傍観しているわけにもゆくまいて。 はてさて、どうしたものであろうかのう?
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DATE: 2005/10/30(日)   CATEGORY: 時事問題-日本
日本は民主主義の未発達国だ!
 先日、中央教育審議会での答申を多数決で決めたことに対し、委員である某県知事は「数の暴挙!」と、言ったそうであるが、とんでもない発言である。
 少数意見も列記するのは、「どれでもお好きな意見をどうぞ。」ということになり、これでは討論など行うことなく、初めから様々な意見を列記すれば事足りる。審議会を招集する意味がない。
 当然、集約した結論を出すべきである。そして、結論を出す以上は、多数意見を採用するのは当たり前。
 これが民主主義。
 その結論に、ご自分の意見が反映されていなかったとのことなのだが、検めて、この委員の意見が何故通らなかったのかを考えてみると、
1.そもそも、考えが間違っていた
2.多数派のほうが、より正しかった
3.論理を構成する力が無かった
4.文章力が無かった
5.アピールの仕方が下手だった
6.信頼されていなかった
7.(礼を失するような)感情を傷つける行為があり、相手にされなかった
と、まあ、こんなところだろうか。
 以上の少なくとも一つには該当したのである。
 このご自分の失態を棚に上げて、「多数の横暴だ!」などと責任転嫁をするとは、「もっての外」と言わざるを得ない。
 「私は少数派だ。弱い立場にあるのだから庇ってくれてもよいではないか!」と、思っておられるのだろうが、銃を突き付けられた訳でもあるまいし、「甘えるのもいい加減にしろ!」と、言いたくなる。
 そのような根性だから、当然の結果として多数派を形成できないのである。
 金の力、権力、知名度なども当然関係はあるだろう。しかしながら、自分の意志で(首に縄を架けられて強引に引っ張って連れて行かれた訳ではあるまい)、審議会に参加した以上、そんなことは先刻承知のはず。
 「初めから結論ありき」の人員配置でも、それをひっくり返すことができるのが議論であり、民主主義の根幹である。所詮、その力が無かっただけの話しだ。
 何とほざこうとも、論争に負けたのである。静かに反省すべきであろう。
 斯様な考えでは、何度やっても負け続け、遠吠えを繰り返すしかない。
 万年野党の連中が、よい例だ。選挙で負けても、まともに正面から反省することをせず、直ぐ言い訳や責任転嫁をする。だから、永久に野党の立場から脱却できないでいる。
 知事といえども一国一城の主であるはずなのだが、その地位に在るものさえこの体たらく。
 まさに、この日本、民主主義の未発達国と言わざるを得ない。
 先の自民党の混乱も同じことが言える。
 「郵政民営化に反対!」と、自民党内では幾ら議論しようと一向に構わない。
 だが、一旦結論に至り、それを党外に出すときは、如何に反対で身を切られる思いであろうとも、全面的に協力するのが当然である。
 よく考えてみるがよい。小躍りして喜んだのは、野党、即ち「敵」なのだ。
 野党の人たちが好んで使う言葉だが、国会での論争は、まさに真剣での「戦い」である。
 その戦いで、自分は反対だからと、味方を後方から撃ったり、敵前逃亡するなどとは言語道断。戦争ならば、軍法会議で銃殺刑である。
 「同士撃ちは敵を利するだけ」であることは、歴史が証明している。
 その後の選挙で、反対派の候補者たちが国民からソッポを向かれたのは、当然と言えよう。一般国民の方が、選ばれたはずの人たちより良識があったということである。
 このことをわきまえず、落選してもなお「私は間違っていません!」などとは、バカじゃなかろうか。
 何処の誰であろうとも、自分が間違っているとは思っていない。
 みんな、「自分は、絶対に正しい!」と思っているはずである。
 しかしながら、その正しいと思う「考え」が、それぞれ多種多様であるのである。
 何処の世界に、「自分の考えは間違っている。しかし、この間違った考えを広めよう。」などと考える人間がいるものか!
 たとえ、テロを行う者であっても、「自分は正しい」と思うからこそ、命を張れるのだ。
 「自分は正しい。自分に反対するものは間違っている。」などは、議論の段階では良いが、結論が出てもなお突っ張るのは、思考回路が幼児の段階で止まってしまっていると断言せざるを得ない。
 このような人たちを私たちの代表として選任することは、絶対に避けたいものである。

 改めて言う。
 意見が対立し紛糾しても、結論を出す必要があるとなれば、『多数決』で決する。そして、例え反対意見の持主であっても歯を食いしばって全員がその結論に従い、『協力』する。ただし、『捲土重来を期す信念と意欲』は持ち続ける。
 これが民主主義。
 自分らの意見が通らないと、「多数派の横暴だ!」と騒ぎ出し、「俺は反対だから、決定に従わない。従う必要がない!」などと言い出すのは、民主主義のまさに曲解であり、言語道断である。
 考えてみればすぐにわかるはず。
 万一、少数意見を尊重すれば、当然の結果として、多数意見を殺すことになる。
 二者択一を迫られた場合、どちらかを殺さなければならない場合において、少数意見を殺すのは、当たり前。いやなら、多数を獲得しようと努力すべきで、喚き散らしたり、「デモだ!」、「ストライキだ!」は間違いだ。
 ところが、こういう人たちに限って、したり顔で、「話せばわかる。武力反対、戦争反対!」を連発する傾向にある。話せばわかると叫ぶ人たちが、多数派を構成できないで、デモやストライキを強行するのは、『話してもわからないことを、自ら証明している』ようなもの。
 このような人たちが多数派を構成できる訳がない。
 ところが一方、この少数派の人たちに大多数の人々が同調しないことに悪乗りして、多数派は、勝ったことを金科玉条の如く振りかざし、情容赦なくふんぞり返る。こちらも、また鼻つまみものであると言える。
 これらは、どちらも、民主主義では断じてない。
 『檄を飛ばす』という言葉がある。これは、言論をもって主張し、多数に訴えかけること。いにしえよりこのような優れた先例があるにも拘らずこれが無視され、幼児並の言動に終始する人たちを見るにつけ、文明は進化しても文化的には後退し、野蛮人となりつつあるのでは、と疑いたくなる。
 この日本には、未だに真の民主主義は育ってはいない。
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らぷぽ | URL | 2005/11/15(火) 13:30 [EDIT]
TB感謝です。全くおっしゃる通り。子供でもあるまい。平気で「責任逃れ」を主張し、「温情」をかけるのは自らの甘さを露呈する。
 どんな苦境であろうとも、しっかり直面することが次の成長に繋がり、必ず評価されるもの。・・・そういいながら自分にも”喝”ってところですが(笑)
 時と場合を履き違えたらいけませんよね。
あつかましくTBもさせて頂きます。また小気味の良い情報楽しみにしています。
ありがとうございました。

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