釣りキチおやじの言いたい放題
心の伝統文化をも捨て去ろうとしているこの日本、 荒波にもまれて何処へ行くのか! ただ指を咥えて傍観しているわけにもゆくまいて。 はてさて、どうしたものであろうかのう?
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DATE: 2006/03/10(金)   CATEGORY: 教育-子育て
豚に真珠
毎日毎日ウンザリする程、犯罪、それも残虐な殺人事件の報道が繰り返されます。
これらの責任は、一体誰にあるのか、どこにあるのか。
親は所詮教育の素人。
これに対して、報酬を得て、プロとして教育に携わる者、また、その人々を束ね、指導する人達、当然、責任を負うべき人たちが存在します。
その誰に責任があるのか。誰が責任をとるのか。誰かに責任があるとすれば、その人を指摘し、首を挿げ替えれば善くなるはずです。しかしながら、そのような指摘はほとんど聞きません。
人に責任がないとなれば、方法に責任があると言わざるを得ません。
即ち、『修身』『教育勅語』を失った事に、明らかにその原因を見出すことができるのです。
世界中何処の国の人たちでも、というより動物全てと言ってよいほど、子育ては、人々のそして動物たちの生涯最大の事業です。したがって、『どのようにして子供を育てていくか』は最大の関心事です。
そこで、『子の養育法』は、各家庭で先祖代々脈々として引き継がれ、各国でも最も大きな事業の一つとして常に大きな政策をもって当られてきました。
我が日本の国も当然例外ではありません。
その日本において様々な人たちの努力により完成されたのが『修身』であり『教育勅語』です。
即ち、『修身』『教育勅語』は、我々日本人の宝だったのです。
ところが、戦後、一般の人たちのみならず、教育者も、政治家でさえ、この宝を宝と気づかず、きれいさっぱり捨て去ってしまいました。それも、代わりの宝を探し出すことも、その努力を払う事もなく。
「日本人は、ハード、即ち見えるものには強いが、ソフト、即ち見えないものには弱く、価値判断ができない。」とは、よく言われることですが、これもその典型的な事例と言えます。
『豚に真珠』、『猫に小判』です。
その意味では、今の日本人は、豚であり、猫であると言えるでしょう。
個々の親は、豚から脱し、人間であろうとするためには、一人一人自ら手探りでこの宝探しをしなければならなくなったのです。
指導者と言われる人たちの責任は、あまりにも重いと言わざるを得ません。
   -小生の「子育て」原稿より-
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● 一首献上!
鵺娘 | URL | 2006/03/10(金) 18:33 [EDIT]
形ある 物のみ愛す 人たちは
玉と瓦の 区別もつかず

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