釣りキチおやじの言いたい放題
心の伝統文化をも捨て去ろうとしているこの日本、 荒波にもまれて何処へ行くのか! ただ指を咥えて傍観しているわけにもゆくまいて。 はてさて、どうしたものであろうかのう?
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DATE: 2007/05/18(金)   CATEGORY: 教育-学校教育
教師は尊敬されるべき存在か?
「教師に楯突こうなどとは、身の程知らず!」
ある問題教師が宣ったとされる言葉である。
この言葉の根底には、
「教師は、教師というだけで尊敬されるべき存在である」との思い込みがあるようだ。

確かに、元来、教師たる者、尊敬されていたことは事実である。
それは何故か?

江戸時代以前においては、教師(その頃、このような呼称は使われていなかったようではあるが、吉田松陰をはじめとする先生と呼ばれ、子供たち、青年などに学問を教えていた人たち)は、自らの経験を基にカリキュラムを自分で作り教えていた。
つまり、カリキュラムの内容は、教師自身の行動そのものであったのであり、教師自らが率先垂範たる手本であったのである。

明治になって、国定教科書としてカリキュラムが教師の手から離れていったのだが、それでもなお、そのカリキュラムの中に『修身』『道徳』があり、それらを教師たちも積極的に教えていた。
そこでは、教える内容と教師自らの行動が乖離すれば当然生徒はついて来ず、教師は手本とならざるを得なかったのである。

ところが、戦後、この修身がカリキュラムから外され、道徳もないがしろにされてきた。
小手先の技術としての学問にのみ重点が置かれたのである。
そこでは、教師が生徒たちの手本となるべき必要性は薄くなる。
安易に流れる人の常として、教師たちの服装・言動が乱れてしまったのである。
過去のブログにおいて「(今の)教師は、教育というカリキュラムのセールスマンに過ぎない」と決め付けた所以である。

つまり、戦後一番堕落したのは教師である。
それにもかかわらず、その昔の『立派であった教師たち』のイメージを引き摺って、自分たちも尊敬されるべき存在であると錯覚しているのである。

「教師こそ、その身の程をわきまえるべし!」
尊敬されたいならば、それに相応しい服装、態度、言葉遣いをとるべきである。
そのやるべきことを遣らずに、家庭内のことまで首を突っ込もうなどとは、おこがましい。

たしかに少年たちの犯罪・虐めの背景に家庭や社会もあることは否めない。
しかしながら、この『尊敬されるべき存在としての教師』と『教師の堕落した現実』とのギャップが最大の原因であることは間違いない事実である。
その証拠に、一握りの例外、『尊敬に値する教師とその教え子たち』が点在する。
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