釣りキチおやじの言いたい放題
心の伝統文化をも捨て去ろうとしているこの日本、 荒波にもまれて何処へ行くのか! ただ指を咥えて傍観しているわけにもゆくまいて。 はてさて、どうしたものであろうかのう?
DATE: --/--/--(--)   CATEGORY: スポンサー広告
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
page top
犯罪に対する時効について
28年前の東京都足立区立小教諭石川千佳子さん殺害の上、公訴時効後に自首し刑事責任を問われない犯人に対し、怒りの声はあるものの、犯人を擁護し、あるいは時効を肯定的に捉える声は聞かれない。
これが社会の常識である。

我国のような法治国家における刑罰とは、『犯罪に見合った社会的に妥当な刑罰を国家が行うかわりに、私的報復としての仕返し・仇討ちなどを被害者又はその遺族から取り上げた』ものであると言える。
しかしながら、犯罪に関する時効とは、犯人を罰する権利及び義務を国家が放棄することにほかならない。
これは、『被害者又はその遺族に対する明らか且つ一方的な契約義務違反』であるといえる。
ならば、私的報復としての仕返し・仇討ちなどを被害者又はその遺族が犯人に対して行ったときの時効も、犯人の時効と同時進行すると法律で規定してはどうだろう?
すなわち、本来に立ち返り、『時効が成立したときは、事実上、仕返し・仇討ちを認める』のである。
それでないと、余りにも不公平であると言わざるを得ない。

極論すれば、法律などというものは、ほとんど犯罪などの被害に遭ったことがない人々がよってたかって机上で作り上げたもの。
だから、犯人をのうのうとのさばらせるような、社会実態に合わない時効などの規定が作られたといえる。
確かに犯罪に遭う人たちは少数であろう。
だからといって、切り捨ててはいけない。
今後は、その少数の人たちが一定数いなければ関係法令の制定改廃ができないようにすべきであると考えるのだが…。
スポンサーサイト
[ TB*1 | CO*0 ] page top
国旗・国歌に関する判決の矛盾
先日、国旗・国歌に関する判決が東京地裁からなされた。

-----------------------------------------------------------------------------------

「国旗掲揚時の起立強制は違憲、地裁が都に賠償命じる」(読売新聞)
「国旗国歌:都教委の「強制は違憲」東京地裁が判決」(毎日新聞)
「式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違憲」 東京地裁」(朝日COM)

産経の記事を以下引用する。
「国歌斉唱の義務ない」教職員の訴え認める 東京地裁判決

 東京都教育委員会が卒業式などの行事で、教職員に国旗に向かっての起立や国歌斉唱を求めているのは、思想と良心の自由を定めた憲法に違反するとして、教職員ら401人が、起立と斉唱の義務がないことの確認のほか、慰謝料の支払いなどを求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は「懲戒処分をしてまで起立させることは行きすぎた措置で違法」として原告側の主張をほぼ全面的に認め、都に1人当たり3万円の慰謝料の支払いを命じた。
 都教委は平成15年10月、学校の式典での国旗掲揚や国歌斉唱時の起立などを求めた通達を出しており、これまでに通達違反として延べ345人の教職員が懲戒処分を受けた。判決は通達違反を理由にした処分も禁じており、都教委の対応に影響を与えそうだ。
 訴訟では(1)教員らが国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務があるか(2)都教委の通達は違法か(3)教員らは通達によって精神的損害を受けたか-が主な争点となった。
 難波裁判長は「日の丸、君が代は第二次世界大戦が終わるまで軍国主義思想の精神的支柱だったのは歴史的事実」と述べた上で、反対する権利は公共の福祉に反しない限り保護されるべきで、起立や斉唱の義務はないと判断した。
 通達については、「合理的な基準を逸脱している」とし、「教職員が起立や斉唱を拒否しても、式典の進行や、国旗と国歌に対する正しい認識を生徒に教えることを阻害するものではない」と述べた。
 難波裁判長はこうした判断の上で、「原告の教職員は義務がないのに起立や斉唱を強要され、精神的損害を受けた」として、都に慰謝料の支払いを命じた。
 都の中村正彦教育長は判決を受け「主張が認められなかったことは大変遺憾。判決内容を確認して今後の対応を検討する」とのコメントを発表した。
   ◇
 小泉純一郎首相は21日、国旗国歌の強制は違法とした東京地裁の判決に関連し「人間として国旗国歌に敬意を表するというのは法律以前の問題だ」と述べた。
 産経WEB (09/21 19:48)


-----------------------------------------------------------------------------------

ところで、

被告や被告人として裁判所に出廷させられる人たちで裁判官や法廷に敬意を感じる人たちが果たしてどれだけ居るだろうか?
裁判所の法廷において起立や礼を強制することは、思想と良心の自由を定めた憲法に違反することとなる。

生徒たちにとって、尊敬に値しない教師、友達として接する教師に敬意を表したり礼儀を尽くすことは当然その意に反することである。
そうなれば、校則等で生徒にそれらを強制することも、思想と良心の自由を定めた憲法に違反する。

このように、この判決に従えば、礼儀作法や道徳・モラルなどすべてを否定することが可能になる。
それで果たして社会が成り立つのだろうか?

礼儀作法や道徳・モラルなどは、個人の意(我儘とも言える)に反してでも、秩序を維持し、対人関係、ひいては社会を円滑に保つための極めて高度な技術なのである。
当然、永い人類の歴史の積み重ねにより、それぞれの人たちの不本意さ、またそれらの人たちの不本意さの総和を最小限に抑える工夫もなされている。
つまり、『礼儀作法や道徳・モラルなどを守らないことは、公共の福祉に反する』のである。

本来、国旗・国歌に対する敬意は、強制されなくても世界各国において当然のこととされている。
すなわち、礼儀作法や道徳・モラルなどの範疇に属する。
しかしながら、この日本の国においては、この当然のことをなし得ない人たちが存在する。
判決にいう「少なからずいる」とされる「反対する人」である。
蟻の穴から堤崩れる』という諺がある。
これらの人たちの我儘な実力行使を認めると、世の中がぐちゃぐちゃになることは目に見えている。
そこで、やむなく件の通達等がなされたに過ぎない。
『法は、道徳の最小限度』という言葉がある。
小泉首相の述べたように、本来「法律以前の問題」なのである。

憲法第七十六条第三項は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、…」と規定する。
今回の法律解釈は、この良心に従わず、悪魔の心をもって法律を解釈し判決を下したとしか思えない。
[ TB*4 | CO*2 ] page top
Copyright © 釣りキチおやじの言いたい放題. all rights reserved. ページの先頭へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。