釣りキチおやじの言いたい放題
心の伝統文化をも捨て去ろうとしているこの日本、 荒波にもまれて何処へ行くのか! ただ指を咥えて傍観しているわけにもゆくまいて。 はてさて、どうしたものであろうかのう?
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DATE: 2006/06/21(水)   CATEGORY: 教育-子育て
『李下に冠を正さず』
以下のような記事が目にとまった。

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<高3自殺>カンニング疑われ…母親が埼玉県を賠償提訴
 埼玉県所沢市の県立所沢高校で04年、カンニングを疑われた3年男子生徒が飛び降り自殺した問題で、生徒の母親(52)が15日、県を相手に慰謝料など8000万円の損害賠償を求める訴訟をさいたま地裁に起こした。
 訴状によると、生徒は04年5月26日、中間試験の物理のテスト中、日本史のメモを見ていたため試験監督の教諭にカンニングを疑われて注意された。その後、生徒は教諭5人から約2時間にわたって「なぜ物理の試験中に日本史のまとめを読む必要があるのか」などと問い詰められた。
 生徒はカンニングを否定し、下校。同日夕、母親の携帯電話に「迷惑をかけてごめんね」とメールを送った後、飛び降り自殺を図って死亡した。
 母親は05年11月、県教育局に「長時間にわたる多人数での取り調べは不適切」と学校側の責任について回答を求める文書を送ったが、県は12月に「事故原因は不明。学校側に過失は認められず、賠償の責任はない」と回答した。記者会見した母親は「県の回答は意外で失望した。同じようなことが二度と起きないようにしたい」と提訴の理由を説明した。
 島村和男・県教育長は「訴状が送達され次第、内容を十分検討した上で対処したい」とコメントした。【弘田恭子】
 (毎日新聞) - 6月15日20時21分更新

「カンニング疑われ自殺」高校生遺族が8000万円提訴
 カンニングを疑われて自殺した高校生の母親が、埼玉県に対し、8000万円の損害賠償を求める訴えを起こしました。
 おととし、埼玉県立所沢高校の3年生だった井田将紀さん(当時17)は、中間試験でカンニングを疑われ、教師5人に事情聴取を受けた後、飛び降り自殺しました。井田さんの母親は「大学の入試に関係のない物理のテスト中に日本史の勉強をしていただけで、カンニングでないことは明白だった」などとして、埼玉県に対し、8000万円の損害賠償を求める訴えをさいたま地裁に起こしました。
 (テレビ朝日) [15日19時34分更新]

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大変痛ましい事故ではある。
しかしながら、「この親にして子の子あり」と思えるのである。
この母親は「同じようなことが二度と起きないようにしたい」とのことなのだが、
そんなことは実に簡単なこと。
『李下に冠を正さず』という言葉を子供に教え、実践させればいいことである。
『瓜田に履を納れず』ともいう。
「商店などへ口の開いたバッグなどを無闇に持ち込まない」など、皆さん心がけられていると思うのだが。
まして、この男子生徒の行為は「カンニングでない」とはいうものの、学校においては明らかに違反行為である。
悪いことをするのならば、それなりの覚悟が必要なのは当然のこと。
追求されるのが嫌なら始めからしない事である。

また、大学の入試に関係のない科目とあくまでも出張するのならば、物理の試験を受けなければ良い。
「内申書がどうの、単位が」というのであれば、当然入試に関係があるのである。

さらに、約2時間にわたって、と言うが、2時間が何だ?
当ブログにコメントを下さる鵺娘さんの体験談に比べさせていただけば、蚊に刺された程度であろう。
小生も、冤罪で教師に酷く殴られたことがある。
世の中には、気を付けていても斯様なことはあり得る。
その度に死んでいたら、世界中の人口はそれこそ何十分の一、いや何百分の一になってしまうに違いない。

『間違ったことはしないこと』、『強く生きること』
これを教えることは親の務めである。
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DATE: 2006/04/28(金)   CATEGORY: 教育-子育て
中津川市での高校生による中学生殺害事件の背景
「岐阜県中津川市で中学2年の清水直さんを殺害した容疑で高校1年の男子生徒を緊急逮捕した。」との報道が全国を駆け巡ったが、この事件に関し、

東京新聞は、「中津川・中2殺害  子どもの“交際”は今」と題する記事で今回の事件の背景を分析している。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060426/mng_____tokuho__000.shtml


その要旨は文中に出てくる次の言葉で要約されているようだ。

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「こういう子たちを孤立させないように、まずは学校と家庭がきちんと向き合わないといけなかった」

「自分の生活で必死な親や、クラスを維持するだけで大変な教師では、期待できない。小学校の低学年ぐらいの時期に、グループでボランティア活動などを必修させて人間関係の訓練を積ませるような社会的なシステムが必要ではないか」

「現在の子どもたちは過保護な親のもとで『王子様』状態で育てられ、人間関係のつくり方の訓練を受けないまま、一定の年齢になると途中で突然、子ども社会に放り出される。」

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確かにこの指摘は的外れではない。
しかしながら、もっと大きな問題がある。
つぎの2つの情報を見てみよう。

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「男子生徒は別の女性との間に2歳の子供がいた。」
http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20060423-22510.html


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「男子生徒がインターネットのホームページ(HP)に過激な自己紹介を掲載していたこともこの日、判明。」
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20060425-OHT1T00002.htm


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男子生徒は15歳。
ということは、中学1・2年生のとき女性に赤ん坊を産ませていたのである。
そして、その事が原因で転居せざるを得なかったとの情報もある。

すなわち、今回の事件の最大の原因は、男子生徒の親が、
1.「臭い物に蓋」をしてしまったこと
2.このような少年を高校に行かせたこと
3.パソコンを買い与えるなどして、インターネットまでさせていたこと(携帯電話も同様)

である。

さらに、殺された清水さんは「飲食店経営の母親と兄の3人暮らし」とのことであるが、この子も携帯電話を持っていた由。

何故に様々な高価なおもちゃを買い与え、高校まで行かせなければならないのか?
猫も杓子も、「高校だ!大学だ!」
そして、
「高校や大学にやらなければ、恥ずかしい!」
この風潮こそが、今回の事件の最大の原因である。


小生は、息子を少々ヤンチャの度が過ぎたので高校に行かせなかった。
知人に頼み込んで「中卒は要らない。」と言われ、断られるのを、「そこを何とか。」と、無理やり活魚運搬船に乗せてもらったのである。
それも、当分の間、陸に上げないで社会から隔離してほしい旨申し添えて。
百トンクラスの船で、寒い中、船内の生け簀に潜って死んだ魚を上げたりなど、かなり辛いこともあったようである。その船中生活を、半年、又、半年。
その結果、根性と体力はついたようで、体を動かすことは厭わなくなって帰って来た。

周囲から「酷い親だ」とも散々言われた。

しかしながら、その息子、二十代の半ばを過ぎた最近になって勉強をしたくなったと大検を受けているらしく、親として嬉しい限りである。

子供の将来を考えると、今でも間違っていなかったと確信できる。

「子供を甘やかすこと」
「世間体を気にすること」
少なくともこの二つを無くせば、子供はまともに育つ。


本件の男子生徒も、産ませた子供の責任をとらせて働かせていたら、案外まともな人生を送っていたかもしれないと考える。
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DATE: 2006/03/20(月)   CATEGORY: 教育-子育て
『キッズgoo』の陰険な洗脳教育
すでに幾つかのブログで取り上げられているが、『キッズgoo』という子供向けサイトがある。↓
http://kids.goo.ne.jp/
ここに「キッズgooサーチ」があり検索機能が付いているのだが、この検索で「保守的なサイトは弾かれるらしい」とのことなので試してみた。

以下、小生がよく拝見させていただいているブログやホームページのうち、弾かれて
「ごめんね。ページがひょうじできませんでした。」
との表示が出たものである。(50音順)
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『石原慎太郎公式ウェブサイト』http://www.sensenfukoku.net/ のうち、「『マオ 誰も知らなかった毛沢東』を読んで」,「アメリカは勝てまい」,「歴史に関する、ことのメリハリ」,「西欧人のずるさ」,「尖閣諸島に関する私的メモ」,「自由台湾の存在意義」,「あきれたメディア事情」
『田舎の神主の学び舎』http://kojiraul.cocolog-nifty.com/blog/
『今村岳司XDL(西宮市議会議員)』http://xdl.jp/
『神のいどころ』http://godslounge.seesaa.net/
『きっこのブログ』http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/
『極右評論』http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/
『金美齢ホームページ』http://www.geocities.jp/kinbirei/ のうち、「金美齢の提言」のかなりの部分
『グローバル・アメリカン政論』http://newglobal-america.tea-nifty.com/
『軍事評論家=佐藤守のブログ日記』http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/200506
『國民新聞』http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/index.html
『子供達の未来』http://hokutomamanopapa.blog38.fc2.com/
『埼玉県和光市議会議員(36歳、最年少) 松本たけひろの今日の雑感』http://ameblo.jp/takeyan/
『櫻井よしこ』http://www.yoshiko-sakurai.jp/ 、ただし表紙のみOK、先へ進めない
『産經新聞を読みましょう』http://yoshidashouin.blog26.fc2.com/
『自衛隊--海上自衛隊元幹部のエッセイ~日本列島波高し~--』http://yosoro.okigunnji.com/
『時事ブログ「グースの勿忘草」』http://sky.ap.teacup.com/deep/
『新聞記事・ニュース批評@ブログ』http://itnews.blog17.fc2.com/
『新・へっぽこ時事放談』http://hepoko.blog23.fc2.com/ 、ただし本文はOKだがコメント欄は表示されない
『草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN』http://prideofjapan.blog10.fc2.com/
『「立ち上がれ!日本」ネットワーク』http://www.tachiagare-nippon.org/ 、ただし、表示はするが、中身は見れない
『帝國愁報』http://japan.arrow.jp/empire/
『二階堂ドットコム』http://nikaidou.com/column01.html
『西尾幹二のインターネット日録』http://nishiokanji.com/blog/
『日本会議』http://www.nipponkaigi.org/
『日本人の魂の蘇生のために - 癒しをテー…』http://plaza.rakuten.co.jp/tatsu1209/
『日本人よ誇りをもてProud to be Japanese』http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/index.html
『日本大好き、好きです早稲田日記 - 誇り…』http://plaza.rakuten.co.jp/goaheadgo/
『日本の心を育むネットワーク』http://hagukumu.exblog.jp/
『日本の伝統を守らう!』http://blog.goo.ne.jp/fuji2630
『パクリ大国 南朝鮮』http://nandakorea.sakura.ne.jp/frame.html
『ハメルーンの笛 不健康手帳』http://takiji1933.blog34.fc2.com/
『反日活動から日本を守るblog2 ... 』http://nokan2000.blog37.fc2.com/
『びーちぇの「ヲシテのクニ」』http://julian.way-nifty.com/
『日々是勉強』http://blog.goo.ne.jp/roro_football-lover
『ほそかわ・かずひこの BLOG』http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005
『Merge Voices』http://mergevoices.seesaa.net/
『まいっちん愚ログ』http://blog.goo.ne.jp/ukiuki8155go
『マスコミが伝えない 韓国』http://wkorea.exblog.jp/
『三輪のレッドアラート』http://pride.arrow.jp/klingon/
『目覚めよ日本』http://blog.livedoor.jp/dandu/
『靖國神社 英霊 日本』http://0707.senyu-ren.jp/
『やぶにらみトーク』http://blog.livedoor.jp/hontino/
『ヤマセン仙北果樹園 新つづら書き』http://kajuen.net/senboku/blog/
『んなアホな!』http://nnaahona.exblog.jp/
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勿論、我が『釣りキチおやじの言いたい放題』も右同じ。

ところで、このサイトには、

「安全の確保」と銘打って、
「子どもたちに少しでも安心してインターネットを活用して欲しいという趣旨から、キッズgooサーチではプログラムによる自動フィルタリング機能を取り入れております。これにより、子ども向けのサイトだけでなく、幅広いサイトを検索対象とし、子どもたちが閲覧できるようになっております。
実際には、43億ページを対象に、私どもが安全であり見せたいと考えるサイトを中心に表示できるよう「URLリスト」を用いて実用性を担保した上で、「キッズgoo」以外のページにジャンプする瞬間にもう一度、このフィルタリング技術を適用しております。」↓
http://kids.goo.ne.jp/parents/index2.html


と書かれている。

そして、その具体的判断基準として、

「子どもたちに迫る危険
● 身体的危険
・ 出会い系サイトに絡む売春、買春、連れ去り、暴行、殺人
・ 若くして自らの命を絶ってしまうネット心中
● 金銭的危険
・ まったく身に覚えのない利用料金を請求される不当請求
・ 無料と書いてあったから入会したのに料金を請求される不当請求
・ ファイル交換ソフトや無断使用などによる著作権の侵害
・ オークションで落札してお金を振り込んだのに商品が届かないというネット詐欺
● 精神的危険
・ 懸賞に応募したら、直後に迷惑メールの嵐が届くという個人情報の流出
・ 小学生だと思っていたネット上の相手が、じつはおじさんだったというなりすまし
・ 不幸の手紙の現代版、チェーンメール
・ 毎日のように届く迷惑メール
・ 掲示板やチャットで日常的に行われている揚げ足取りや誹謗・中傷
・ 掲示板に投稿される脅迫メッセージ
・ 掲示板のコミュニケーションをめちゃくちゃにする掲示板荒らし
・ メーリングリストでエスカレートするケンカ
・ ネットゲームに夢中になるネット中毒
・ 脅迫や誹謗・中傷のメール
● 有害情報・他
・ 「18禁」と表示しながら、誰でも見られるアダルトサイト
・ 麻薬の入手方法など、犯罪の手口を説明するサイト
・ 違法品を販売するオークションやサイト
・ 死体や残酷な画像を見せるサイト
・ 蔓延するコンピュータ・ウイルス 」↓
http://kids.goo.ne.jp/parents/column2_01.html


と、記載されている。

しかしながら、どのように考えてみても、上に記したサイトはどれ一つとしてこれらの「危険」に該当するとは思えない。
「日本人として心を大切にする」極々まともなサイトばかりである。
強いて言えば、巷に言うところの「保守的」であるとはいえる。

即ち、どう考えても、これらを弾いた基準は、
「私どもが安全であり見せたいと考えるサイトを中心に」
の語句の、「『見せたいと考えるサイト』に該当しないから」としか受け取れないのである。

これは、明らかに言論統制、検閲を行っていると言わざるを得ない。
この自由なはずの日本において、知らないうちに言論統制が行われ、子供たちを対象に洗脳教育が教育の名において陰険に行われているのである。

この日本、極めて危険な状態に陥っていると言わざるを得ない。
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DATE: 2006/03/17(金)   CATEGORY: 教育-子育て
大好きな言葉
前に「『千万人と雖も我行かん』という諺」について書きましたが、↓
http://izariuo.blog32.fc2.com/blog-entry-58.html

少々誤解されるおそれがありますので付け加えます。
 この言葉は、「他人にどんなに邪魔をされても、また反対されても突き進む」との意味であり、弟子に「大勇とは」と訪ねられた時の孔子の答えです。
 しかしながら、この言葉には、大切な前書があります。
 それは、『自ら省みて直くんば』です。言い換えれば「自分を客観的に観察して、正しければ」ということです。何が何でも我を通すということではありません。
 『自分を客観的に観察する能力』
 『正しいこと、正しくないことを判断する能力』
 『自分は一人、敵は千万人であろうとも敢然と突き進む強い意志』
この三つが要求されるのです。
 当然、「正しくなければ、敵はゼロでも、あるいは一切批判を受けることがなくても進んではならない」との結論をも導き出すことが出来ます。
 これは、私の子育て、人間造りの基本です。
 子供たちにこの精神を叩き込むことは、大きな目標の一つです。
 一方、親である私にとっても、また大変大切なことです。
 「他の子がピアノを習っているからうちの子も」とか、「高校くらいは出しておかなきゃ」とか、世間体を気にしたりしていては真の子育ては出来ません。
 さもないと、子供は、このような親の邪な心を見抜き、真剣に生きようとする意欲を失くすとともに、親に反発するときの強力な武器とするに違いありません。
 常に、子供に対して清らかであるか、正しくあるかを自問し、正しいと確信できたことは、涙を振るってでも、歯を喰いしばってでも、必ず実行することです。
 『自ら省みて直くんば 敵は壱千萬人と雖も我行かん』
 私にとって、この言葉は最も重んじるべき言葉であると同時に、大好きな言葉です。
   -小生の「子育て」原稿より-
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DATE: 2006/03/10(金)   CATEGORY: 教育-子育て
手綱か、それとも太陽か

庭木などの剪定や整枝を行う場合、小さな木や枝は、容易に剪定でき、また針金や紐などを使用することで実に見事な庭木や盆栽となります。
あとは、行う人の美的感覚と腕の問題です。
一方、大きくなってしまった木は、もはや容易には人の力を受け付けず、太陽の力、あるいは台風や洪水によってのみ、その姿を変えることが出来ます。
ただし、台風や洪水は、往々にして木々をダメにしてしまいます。
人間とて同じこと。
小さいときには、手綱を引き締めて、自分を律する方法を身に付けさせ、大きくなるにしたがって手綱を緩め、その行動範囲を拡大させてゆきます。
小さいときに自由放任にしておくと、大きくなって自制が効かなくなります。
そうなってから初めて手綱を付け制御しようとしてもダメです。
子供とて抵抗する力も大きくなっており、親一人や二人の力では到底制御不能な状態となっています。
体罰や小言は通用しません。
まさか台風や洪水のたとえのように、半身不随になるような暴力を加えるわけにはいかないでしょう。
こんなとき、大きくなった子供には、親が太陽になるしかないのです。
親自らが模範を示す太陽となって、その輝く光に向かって成長するのを只管見守ることとなります。
   -小生の「子育て」原稿より-
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DATE: 2006/03/10(金)   CATEGORY: 教育-子育て
豚に真珠
毎日毎日ウンザリする程、犯罪、それも残虐な殺人事件の報道が繰り返されます。
これらの責任は、一体誰にあるのか、どこにあるのか。
親は所詮教育の素人。
これに対して、報酬を得て、プロとして教育に携わる者、また、その人々を束ね、指導する人達、当然、責任を負うべき人たちが存在します。
その誰に責任があるのか。誰が責任をとるのか。誰かに責任があるとすれば、その人を指摘し、首を挿げ替えれば善くなるはずです。しかしながら、そのような指摘はほとんど聞きません。
人に責任がないとなれば、方法に責任があると言わざるを得ません。
即ち、『修身』『教育勅語』を失った事に、明らかにその原因を見出すことができるのです。
世界中何処の国の人たちでも、というより動物全てと言ってよいほど、子育ては、人々のそして動物たちの生涯最大の事業です。したがって、『どのようにして子供を育てていくか』は最大の関心事です。
そこで、『子の養育法』は、各家庭で先祖代々脈々として引き継がれ、各国でも最も大きな事業の一つとして常に大きな政策をもって当られてきました。
我が日本の国も当然例外ではありません。
その日本において様々な人たちの努力により完成されたのが『修身』であり『教育勅語』です。
即ち、『修身』『教育勅語』は、我々日本人の宝だったのです。
ところが、戦後、一般の人たちのみならず、教育者も、政治家でさえ、この宝を宝と気づかず、きれいさっぱり捨て去ってしまいました。それも、代わりの宝を探し出すことも、その努力を払う事もなく。
「日本人は、ハード、即ち見えるものには強いが、ソフト、即ち見えないものには弱く、価値判断ができない。」とは、よく言われることですが、これもその典型的な事例と言えます。
『豚に真珠』、『猫に小判』です。
その意味では、今の日本人は、豚であり、猫であると言えるでしょう。
個々の親は、豚から脱し、人間であろうとするためには、一人一人自ら手探りでこの宝探しをしなければならなくなったのです。
指導者と言われる人たちの責任は、あまりにも重いと言わざるを得ません。
   -小生の「子育て」原稿より-
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DATE: 2006/03/03(金)   CATEGORY: 教育-子育て
中国よ、お前もか?
≪自信と誇り≫

 『千万人と雖も我行かん』という諺があります。
 また、「謗る者汝の謗るにまかす 嗤う者汝の嗤うにまかす 天公本より我を知る 他人の知るを求めず」との漢詩を詠んだ佐久間象山、「我胸のもゆる思にくらぶれば煙はうすし櫻島山」との和歌を詠んだ平野国臣。この人たちのように、人々に尊敬され、強烈な人生を送った偉人たちもいました。
 共通するのは、『確固たる自信に裏付けられた誇り』の存在です。
 少しニュアンスは違いますが、「矜持」ともいいます。
 これこそが、他の動物が持ちえず、人間だけが持ちうるもの。他の動物と人間とを区別する最大の要素です。

 ある国の政府は、自国の領土だと主張する地方の独立行動を阻止しようと、武力をもって圧力をかけています。「どうぞ、独立して見られたら如何ですか。たぶん行き詰まるでしょうが、そのときは私どもが引き受けますので、最大限頑張ってみてください。」と、何故に言えないのでしょうか。よほど自分たちが行っている政治に自信が無いのであろうと思わざるを得ません。
 我が日本においても、ある政党が政権を奪われたとき、その政党はそれまでの野党と同じく、政権を掌握した政党を攻撃し、その足を引っ張りました。「どうぞ、頑張ってみてください。日本のためです、我々も協力しましょう。駄目なときはまた我々に返してもらいます。」と、泰然として言うだろうと期待していた私は、見ていて情け無くなってしまったものです。
 これもまた、自信の無さのなせる業でしょう。

 人々をよく観察していると、真に実力のある人は、威張りません。
 非常に謙虚です。他人と張り合うことも、争うこともしない。
 その上、大変優しい。
 自分に、実力に裏づけされた確固たる自信があるからです。
 そして、その自信の裏づけのある誇りが、『実力のない者と同じ土俵に上ることを許さない』のです。
 『実るほど頭を垂れる稲穂かな』という諺があります。これは、自分に実力があり、自信がある者は威張らないことを意味します。誇りが、威張ることを許さないのです。
 誰もがよく知っているその代表的な有名人は、ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手でしょう。松井秀喜選手が威張った、腹を立てたなどとの記述や報道は、感心するほど皆無です。一方で、その笑顔や優しさに関する報道には事欠きません。

 『自分を信じることができるだけのものを、自分の内に育てることが出来なかったとき、その不安を隠そうとして威張り散らし、他人を攻撃する』のです。部下や目下の者に怒鳴り散らしたり威張ったりしている者は、この、実力に欠け、部下の手柄を横取りし、あるいは上司にゴマをする人間です。
 私は、子供が「意地悪をされた。」などと言って来たときは、「その人は、自信が持てないかわいそうな人だね。おまえは堂々としていなさい。いちいち対処する必要はないよ。」と言います。子供たちは、「そうだね。」と、納得しています。

 現在、日本では原則として宗教教育が行われていません。
 また、刑罰の場面の公開も行われていません。
 この二つは、人間の外面から強制力を発揮する、『善を行い悪を抑制する行動基準となる、絶対的拠り所たる二大要素』なのですが、これが二つとも欠如しているのです。
 外に拠り所を求め得ないならば、内にその拠り所を構築せざるを得ないことになります。
 ここに、個人個人において自信と誇りを持つことが、昔以上に要求されてくるのです。
 当然のこととして、親は、子供の自信と誇りの構築を側面から支援する必要が生じます。
 『僕の母は世界一』『飼っている猫がかわいい』『算盤は誰にも負けない』『家の近くに沢山の蛍がいる』『僕は絶対に悪いことはしない』『先祖にすばらしい人がいる』などなど、何でも良いのです。子供の心に、子供なりの自信と誇りを育ててあげること。
 さらに重要なことは、その子供の自信や誇りがたとえ些細であっても、悪い事で無ければ決して潰してはいけないということです。そうすれば、子供は、自ら生甲斐を見い出し、生き生きと行動し、少々の困難も自分で乗り越え、また、悪事など働くことは人に指摘されなくても自分自身で否定して、人生を力強く歩んでゆくはずです。
 当然、真の実力も自然と培われてゆきます。
   -小生の「子育て」原稿より-
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DATE: 2006/02/22(水)   CATEGORY: 教育-子育て
何故に無理してまで保育園・幼稚園に行かせるのか
滋賀県長浜市で園児2人が殺害された事件について、毎日のように報道がなされています。
ところが、「何故に保育園や幼稚園に行かせるのか」についての記事が見当たりません。
「義務教育ではない」にもかかわらず、まるで当然義務教育であるかの如き扱いです。
「通園費用調達のためにパートにでる」とはよく聞く話です。
さらに今回は人を殺してまでも固執。
なんとも不思議な現象に思われます。


私は、子供たちを保育園、幼稚園に行かせませんでした。
その理由は二つあります。
第一は、小学校へ入るまでは、徹底的に親と一緒に居るべきと考えるからです。
親とのスキンシップを徹底することにより、子供の情緒を安定させ、心置きなく巣立つ基礎をつくるのです。
また、しつけをし、小学校という社会生活を曲がりなりにも営めるように準備させます。その間に、子供は段々と、学校というものに憧れ、学校に行きたいとの感情がまさに風船のように膨らんでいきます。
第二は、勉強は小学校から始めるべきと考えるからです。
勉強は、遊びではありません。当然、ある程度の苦痛が伴うものです。
そして、この辛いことをやることに意義があるのです。この辛さに耐える力を身に付けることで、より高度な学問も可能になります。社会に出たならば、仕事が勉強にとってかわります。
しかしながら、小学校以前までの幼少段階では、この苦痛には耐えられません。だから、保育園、幼稚園では、遊びの延長として勉強を教えざるを得ないのです。その結果、小学校に入ったとき、切り替えができずに、相変わらず、遊びと勉強の区別がつかず、嫌な勉強はしなくなります。楽しい勉強だけしていると、嫌な部分、辛い勉強を回避するのです。授業に集中することができない子供になります。

肉体と同じように、頭もまた段階を踏んで発達してゆきます。
だから、小学校へ入るまでの子供には、本を読んで聞かせ、また、本を与えても、教えることはしませんでした。字を書きたくなって、書き出しますが、書き順がでたらめでも、鏡文字でも一切関知しません。
義務教育は六歳からとなっていることからも明らかなように、勉強は、小学校からで充分です。多くの人たちが、長い経験のもと、六歳からが最適と判断されてきたのです。カリキュラムに対する異論はあるでしょうが、この「六歳という年齢を下げろ!」との議論は聞きません。
私の子供は、六歳になるまで抑えられていた勉強に対する好奇心、学校というみんなとの社会生活に対する憧れが大爆発しました。風邪を引いてかなりの熱があっても、飛び出して学校に行きます。苦痛より、学校に行きたい気持ちのほうが勝るのです。

ある時のPTAの会合で、ある親から、「すみません。お宅の子供さんを苛めているのはうちの〇〇です。」といわれました。私は帰ってから、「おい、〇〇くんがお前に何かしているか?」と聴いたところ、「そういえば、何かしているかな?だけど、どうって事ないよ。」との返事が返ってきました。ここでも、学校に行きたい気持ちが、苛められている痛みなど吹き飛ばしていたのです。
『長い間憧れた学校』で、『待ちに待った勉強』。
そこでは、『先生は神様』。
子供は、夢中になって勉強に打ち込む。「もう、やめたら?」と言ってもなかなかやめない。面白くて仕方がないのです。
一段落したときには、多少の苦痛には耐える術を身につけてしまっています。


保育園や幼稚園といえども小さいながらも団体社会です。
社会生活に馴染む能力のない段階の子供を社会に放り出すことには無理が伴います。
社会生活に耐え得る最小限の能力を子供に着けてあげることが先決でしょう。

   -小生の「子育て」原稿より-
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DATE: 2006/02/10(金)   CATEGORY: 教育-子育て
『きまり』のはなし(子供たちへ)
「校則を子供に守らせる合理的説明が出来ない」と言う母親がいた。
また、NHKラジオでも「ルール」について特集をしていたが、どうも掴みかねているように感じられてならない。
そこで、子供たちに対する話として小生が纏めたものを以下に掲載してみよう。



『きまり』のはなし(子供たちへ)

 『きまり』とはなんだろう?
 規則とも言うよね。法律も、また『きまり』だ。
 ロビンソン・クルーソーのように無人島に一人でいるときは『きまり』はいらないんだよ。
 二人以上になると、『きまり』が必要になるんだ。
 この『きまり』は、『約束』と言いかえることもできる。
 ところで、友達と仲良くするためには、お互いに黙っていてはだめだよね。
 話をしなければね。
 その話をするとき、言葉が通じなければ、また、だめだよね。
 お互いに通じる、わかる言葉、つまり『同じ言葉』をお互いに話して、初めて話ができる。
 『同じ言葉』、実は、これも『きまり』の一つだ。
 使う言葉一つ一つの意味も違ったら大変だよね。
 たとえば、「まる」はどんな形か知っているね。
 もし、ある人が「まる」を三角だと言い張って、もう一人は四角だといったら話が通じなくなるよね。
 だから、言葉一つ一つの意味もきまっているのだ。
 つまり、これが『きまり』だ。
 何年か前、朝日新聞にこんな記事が出ていた。
 「アメリカで、鯨に飲み込まれた人が奇跡的に助かった。その人の話によると鯨のおなかの中はたいへん熱かったそうだ。ところで、鯨の体温は百度だそうである。百度といえば水が沸騰する温度だ。よく生きて出てこられたものだ。」と。
 水が沸騰する温度だったら、呑みこまれた人間だけでなく鯨そのものも茹で肉になってしまうと思わないかい?
 おもうだろう?当然だ。
 それでは、この話はどこがおかしいのだろうか。
 わかる人、いるかな?
 君達、つまりぼくたち日本人は、『水が凍る温度を零度、水が沸騰する温度を百度として計算する、摂氏』という『単位』を使っている。
 それに対して、アメリカでは、『水が凍る温度を三十二度、水が沸騰する温度を二百十二度として計算する、華氏』という『単位』を使っているんだ。
 つまり、使っている単位が違うんだよ。
 使っている単位、これも一種の『きまり』だ。
 日本とアメリカでは、温度について同じ『きまり』ではないために、こんなことがおこるのだ。
 ちなみに、華氏の百度は、摂氏の三十七・八度に相当する。
 これならば、君達の体温よりほんのちょっと高いくらいになるんだよ。
 このように、みんなが同じ『きまり』に従うことで初めて話ができ、また、話が通じるのだ。
 君たちみんなが学校にきて勉強するのは、実はこの『きまり』をべんきょうすることなんだよ。
 ことばは、『きまり』だから、国語はそうだよね。
 算数も、数字や計算の方法を学ぶことだよね。
 これも『きまり』を学ぶことだ。
 同じように、理科も、社会も、体操も、全部『きまり』を勉強することなんだよ。
 ところで、この日本は、民主主義の国だ。
 だから、いろいろな『きまり』は、みんなでつくるもの。
 そして、言葉のように、作られて来たものだ。
 ただし、みんなで作るといっても、誰でも勝手につくっていいというものではないよ。
 『きまり』には、友達と遊ぶときに、いっしょに作る『きまり』もあれば、法律のように国会議員の人たちが作るもの、校則のように先生が作るものもある。
 君たちに「新しい算数のきまりをつくりなさい。」といっても無理だろう。
 このように、それぞれの『きまり』は、それぞれの能力に応じた人たちが集まって、一番ふさわしい方法で作られているんだ。
 当然、君たちにとっては、君たちにご飯を食べさせてくれるお父さん・お母さんのいうことも、また、『きまり』だよ。
 ところで、君たちの中に、「僕は友達なんか要らないよ!」「お父さん、お母さんとも話なんかしなくていい!」「ご飯も自分で作るし、そのご飯の材料も全部自分で作る。お米は自分で植えるし、魚も釣ってくる。」という人いるかな?
 いないよね。
 みんな、人と仲良くしなければ、生きていけないのだ。
 さて、それでは仲良くするにはどうするか。
 簡単だ。『きまり』を守ればいいんだよ。
 みんなが『きまり』を守って、はじめて話ができ、仲良くできるのだよ。
 仲良くできるだけじゃない。
 みんなが学校にくるのも、「教育基本法」や「学校教育法」という『きまり』があるから来られるのだ。
 道を歩いていて安全なのは、『道路交通法』という『きまり』をみんなが守ってくれているからだよ。
 だから、「このきまりは、気に入らない。守りたくない。」からといって、守らないのはよくないことだよ。
 「君たちがきまりを守らない。」ということは、「君たちに対してほかの人もきまりを守らなくていいですよ。」ということと同じ事だ。
 自分は守らないが、「人には守れ」というのはおかしいからそういうことになるよね。
 そうすると、どうなるかな。
 道を歩いていて、君たちに向かって自動車が突っ込んでくるかもしれないよ。
 そうなると怖いよね。
 ここで、『きまり』の働きのもう一つの面が見えてきたでしょう?
 それは、弱肉強食、つまり強いものが弱いもの苛めをすることを防ぐことだ。
 自動車と君達が喧嘩をしたら、君達は当然負けるだろ?
 しかし、『きまり』があるから、負けるとわかっている自動車との喧嘩をしなくてすむのだ。
 自動車と平等に、君たちも堂々と道路を横断できるんだよ。
 誰でも、楽しい思いをしたい。楽をしたい。
 そんな、いろいろな欲望がある。
 だからといって、みんながやりたい放題やってたら、世の中むちゃくちゃになってしまうだろ?
 そこで、『きまり』が必要になり、作られるのだ。
 こうして、社会の秩序が保たれているんだよ。
 また、先生が君たちに勉強を教えるのも『地方教育行政の組織及び運営に関する法律』や『地方公務員法』などの『きまり』に従って行われている。
 そして、その先生が給料をもらえるのも、また、同じようにこれらの『きまり』があるからなんだ。
 そこで、君達が校則という『きまり』を守らなければ、「勉強を教えてもらわなくてもいいです!」ということになる。
 先生も『きまり』をやぶれば、「給料は要りません!」ということになってしまうよね。
 『きまり』を守って、初めて自分が主張できる。
 『きまり』を守ることによって、一人前の人間としてみんなに認められるのだよ。
 だから、『きまり』は、しっかり守ろう。
 おかしいと思うような『きまり』もあるかもしれない。
 でも、君たちがおかしいと思っても、『世の中から見たら正しい』こともあるのだ。
 『木を見て、山を見ず。』という言葉がある。
 たとえば、君たちを上から見ると頭しか見えないよね。
 後ろからだと、背中。
 前から見てはじめて顔が見えるけれど、今度は背中が見えないよね。
 それと同じように、見方によって変わることもあるのだよ。
 それでも、間違っていると思う『きまり』があれば、「守らない」のではなくて、それでも守って、そして、先生などに言って直してもらうか、君たちが一所懸命勉強して、『きまり』を作る人になって直してみよう。
 そうすることによって、みんなが仲良く、楽しく暮らせる世の中になっていくのだ。
 ほかにも、「人の者を盗ったり、人をたたいたり、けがをさせたりするような悪いことをしてはいけません。もし、そんなことをしたら、刑務所に入れるなどして罰を与えます。」と書いた『刑法』という『きまり』もある。
 そして、そんな『きまり』をみんなに守ってもらうために、警察の人たちがいるのだよ。
 また、『日の丸』は国旗、つまり日本の国の旗、『君が代』は国歌、つまり日本の国の歌と法律で決まっている。
 国旗や国歌の扱いは、『国際慣習』(これも『きまり』です。)で決まっている。
 この『きまり』にしたがって、入学式や卒業式などでは、『日の丸』を掲げ、『君が代』を一所懸命歌わなければなりません。
 日本に来た外国の人たちは、いま、この『きまり』を守らない日本の人がいるのに驚いて、あきれています。
 また、ばかにしています。
 君たちは、そんなことのないように、気をつけよう。
 さあ、友達と仲良くしたいと思う人、手を挙げて!
 お父さん、お母さんと仲良くしたいと思う人、手を挙げて!
 はい、それでは、お父さん、お母さんの言うことや、校則などの『きまり』をしっかり守ってください!
 そして、『君が代』を大きな声で歌おうね。
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DATE: 2006/02/02(木)   CATEGORY: 教育-子育て
緊張感と責任感
今年も又受験の季節となったのだが、

「乗り過ごし受験生“救助”JR東日本が温情停車」↓との、以下の記事に出会った。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060202-00000105-kyodo-soci
「特急を乗り過ごし入学試験に遅刻しそうになった受験生を助けるため、JR東日本が2日、ダイヤでは通常止まらない駅に緊急停車した。」というのである。

また、
「遅刻したら人生の一大事---パトカーで受験生を送り届ける」↓との、以下の記事にも出会った。
 http://response.jp/issue/2004/0209/article57713_1.html
「京都府警は7日、大学受験の会場を間違え、遅刻のために受験資格を失いそうになっていた女子生徒を緊急走行扱いのパトカーで送り届けたことを明らかにした。」というのである。

いずれも「人生を左右する一大事であり、緊急事態に相当すると判断した」という。
確かに心温まる話ではある。
がしかし、本当にこれでいいのだろうか?
JR東日本や京都府警は「人生を左右する一大事」と考えてくださったのだが、本人たちにとっても「人生を左右する一大事」との思いが果たしてあるのであろうか?
そうであれば、時刻表や地図で充分に確認し、それでもなお時間に余裕を持っていくのではなかろうか?
小生も何度か様々な試験を受けてきたが、必ず前日に下見をしたものである。
知り得る友人たちも皆同じであったと記憶している。
「人生を左右する一大事」ならば、本人が一番気を配るべきなのではないのか?

先日、NHKで某建築士の方が「最近の日本人は、ボーッとして『緊張感と責任感』に欠けている。列車脱線事故を始めとする事件の大部分はこのことが原因である。」旨の発言をされていたが、まさに的を射ていると言える。
赤ちゃんを取り違えた、薬の種類や分量を間違えて患者を殺したなどとマスコミを度々賑わす医療事故も又この延長線上にあることは間違いない。

「マニュアル人間」と呼ばれ、指示されなければ動かず、指示されたことだけしかしない、出来ない人間。
自分で考え、積極的にやるべきことを見つけ出し行動することが出来ない人間。
挙句の果て、自分自身に対する責任さえ負えない。
このような人間が増えているのである。

JR東日本や京都府警の温情に接した若者が、これを契機に「緊張感と責任感」のある人間になってくれればいいのだが、
反対に、「いざとなったら、泣けば誰かが助けてくれる」と思うようになりはしまいかと、老婆心ながら、心配するほうが大きいのは、やはり時代のなせる業か。

小生の親が緊張感を養うために小生にしてくれたことを最後に記す。
小学校一年生の時、運動会の次の日は土砂降りだった。
いつものように弁当が入ったランドセルをかついで、長靴を履いて傘をさし家を出た。
ものすごい雨のためもあって、道すがら誰にも出合わず、学校へ到着。
しかし、シーンと静まり返って、雨の音以外しない。
人っ子一人おらず校舎の鍵も閉まっている。
狐につままれた思いで懸命に背伸びして教室をのぞいていると、用務員さんが出てきた。
「今日は、お休みだよ。」
家に帰ると父も母も笑っていた。
そして、
「おまえが、先生の言うことを真面目に聞いていないからこんなことになるのだ!」と叱られた。
父も母も、当然のことながら知っていたのである。
時々先生の話を上の空で聞いている小生を何とかしたいと機会を窺い、チャンス到来とばかり、反省を促すために、弁当まで作って、そ知らぬ顔をして小生を土砂降りの中へ送り出していたのである。
弁当まで作ってくれた親に、「教えてくれたらよかったのに」との思いにはさすがになり得なかった苦い思い出である。
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