鳩山邦夫前総務相更迭の真相は?
時事通信によると、
麻生太郎首相は16日夜、日本郵政の西川善文社長の後継候補リストが同封された手紙を首相から受領したと、鳩山邦夫前総務相が公表したことについて「個人との間に出された手紙や文書が安易に外に出される方がおかしい」と批判した。
らしい。
しかしながら、この麻生首相がそもそも鳩山邦夫前総務相をペテンにかけ、けしかけておいて『梯子を外した』のではないか。
「郵政は民間だから」と言うのなら、始めから名簿など渡すはずがない。
自分自身で信頼を裏切っておきながら、相手を非難するとは盗人猛々しいと断ぜざるを得ない。
ところで、この一連の麻生首相の行為は、何を意味しているのだろうか?
1.耄碌して自分が指示したことを忘れてしまっていた。
2.どう転んでも自分だけは無事なように、鳩山邦夫前総務相だけを操り行動させ、様子をみて「知らぬ存ぜぬ」を決め込み、徹底して自己保身を図ろうとした。
3.鳩山邦夫前総務相を潰すために、自ら仕組んだ。
4.自民党の長老連中に唆されて、鳩山邦夫前総務相を潰しにかかった。
5.小泉元首相の意向を受け、鳩山邦夫前総務相を潰しにかかった。
と、こんなところだろうが、どれだろう?
煙たい存在である安部晋三、中川昭一を潰した連中が、次は鳩山邦夫を潰しにかかったとしても不思議ではない。
まさか、そのもっと後ろに中国がいるなんてことはないだろうが。
さて、次に狙うのは、桝添要一か?
麻生太郎首相は16日夜、日本郵政の西川善文社長の後継候補リストが同封された手紙を首相から受領したと、鳩山邦夫前総務相が公表したことについて「個人との間に出された手紙や文書が安易に外に出される方がおかしい」と批判した。
らしい。
しかしながら、この麻生首相がそもそも鳩山邦夫前総務相をペテンにかけ、けしかけておいて『梯子を外した』のではないか。
「郵政は民間だから」と言うのなら、始めから名簿など渡すはずがない。
自分自身で信頼を裏切っておきながら、相手を非難するとは盗人猛々しいと断ぜざるを得ない。
ところで、この一連の麻生首相の行為は、何を意味しているのだろうか?
1.耄碌して自分が指示したことを忘れてしまっていた。
2.どう転んでも自分だけは無事なように、鳩山邦夫前総務相だけを操り行動させ、様子をみて「知らぬ存ぜぬ」を決め込み、徹底して自己保身を図ろうとした。
3.鳩山邦夫前総務相を潰すために、自ら仕組んだ。
4.自民党の長老連中に唆されて、鳩山邦夫前総務相を潰しにかかった。
5.小泉元首相の意向を受け、鳩山邦夫前総務相を潰しにかかった。
と、こんなところだろうが、どれだろう?
煙たい存在である安部晋三、中川昭一を潰した連中が、次は鳩山邦夫を潰しにかかったとしても不思議ではない。
まさか、そのもっと後ろに中国がいるなんてことはないだろうが。
さて、次に狙うのは、桝添要一か?
村山談話、河野談話は、黄門様の印籠か?
日本の政府・政治家たちは宗教団体か?
田母神氏の論文応募問題での国会討論その他のコメントを聞いていると、「政府見解に反するからいけない」との与野党・政府の一致した見解であるようだ。
そして、その前提の下にシビリアンコントロール云々の論争を繰り返している。
しかし不思議なことに、その政府見解については「問答無用で正しい」として一切触れることがない。
田母神氏はその論文の中で、さまざまな文献を引用してその政府見解の問題点を指摘している。
すなわち、その内容は田母神氏個人の見解ではなく、ある程度普遍化されつつある考えなのである。
ところが一方の政府見解の元となった「村山談話」や「河野談話」には、その根拠とするモノが示されていない。
にもかかわらず、相変わらずその村山談話等を金科玉条の如く振りかざし、「頭が高い、下がりおろう!」との態度。
正に、「村山教」とでも呼ぶべき態をなしている。
「村山談話」や「河野談話」は「経典」なのか?
そして、政府や政治家たちは、その経典を押し戴く伝道師たちなのか?
私には、今回における政府の一連の行動が、ガリレオ・ガリレイに対して問答無用の判決が下された宗教裁判と重なって映る。
今日では世界中の誰も疑うことのない地動説を唱えことによりガリレオは裁かれたのである。
其処にはガリレオの考えが正しいか否かの論議は一切なされなかったのだ。
田母神氏に「持論を展開されないように、また、それを極力国民に知らせないように!」と、テレビ中継を禁止したことからも、私の思いは的を射ているようだ。
政治は高度な社会科学である。
村山談話等がなされた後に発見された新たな資料も多い。
「そのために問題提起をした」と、田母神氏は主張しているではないか。
一切を根底から問い直し、構築し直すべき絶好のチャンスではないのか?
それとも、日本の今日の政治には、科学と言う文字など存在しないのか?
万一、「田母神氏を論破する自信がなく論破される不安に苛まれていること」が原因ならば、国のためにはならないだけでなく、害悪となる。
政治家など辞めたがいい。
そして、その前提の下にシビリアンコントロール云々の論争を繰り返している。
しかし不思議なことに、その政府見解については「問答無用で正しい」として一切触れることがない。
田母神氏はその論文の中で、さまざまな文献を引用してその政府見解の問題点を指摘している。
すなわち、その内容は田母神氏個人の見解ではなく、ある程度普遍化されつつある考えなのである。
ところが一方の政府見解の元となった「村山談話」や「河野談話」には、その根拠とするモノが示されていない。
にもかかわらず、相変わらずその村山談話等を金科玉条の如く振りかざし、「頭が高い、下がりおろう!」との態度。
正に、「村山教」とでも呼ぶべき態をなしている。
「村山談話」や「河野談話」は「経典」なのか?
そして、政府や政治家たちは、その経典を押し戴く伝道師たちなのか?
私には、今回における政府の一連の行動が、ガリレオ・ガリレイに対して問答無用の判決が下された宗教裁判と重なって映る。
今日では世界中の誰も疑うことのない地動説を唱えことによりガリレオは裁かれたのである。
其処にはガリレオの考えが正しいか否かの論議は一切なされなかったのだ。
田母神氏に「持論を展開されないように、また、それを極力国民に知らせないように!」と、テレビ中継を禁止したことからも、私の思いは的を射ているようだ。
政治は高度な社会科学である。
村山談話等がなされた後に発見された新たな資料も多い。
「そのために問題提起をした」と、田母神氏は主張しているではないか。
一切を根底から問い直し、構築し直すべき絶好のチャンスではないのか?
それとも、日本の今日の政治には、科学と言う文字など存在しないのか?
万一、「田母神氏を論破する自信がなく論破される不安に苛まれていること」が原因ならば、国のためにはならないだけでなく、害悪となる。
政治家など辞めたがいい。
シビリアンコントロールとはマインドコントロールのことか?
田母神俊雄前航空幕僚長が政府見解と異なる内容の論文を発表した件について、「シビリアンコントロールに反する」との政治家やマスコミの叫びには喧しいものがある。
一体、シビリアンコントロールとは何なのか?
何故、シビリアンコントロールが叫ばれるようになったのか?
軍隊の独走を許してきた歴史への反省から、シビリアンコントロールの概念が出てきたのではないのか?
いうなれば、軍隊としての行動である職務執行をコントロールすることがシビリアンコントロールではないのか?
田母神氏はその職務上、自衛隊組織やその構成する隊員をコントロールしたのか?
論文、それも自衛隊の職務執行とは直接関連性のない考えを発表することが自衛隊組織やその構成隊員をコントロールした事になるのか?
これらの「シビリアンコントロール云々」の論法は、風が吹けば桶屋が儲かる式の論法であると言わざるを得ない。
一方、論文の内容や考えがシビリアンコントロールに違反するとのコメントもある。
それこそ、思想信条をコントロールすべきとの論であり、シビリアンコントロールとはマインドコントロールということになってしまうのだが、それでいいのか?
自衛隊員の士気に影響するとの意見もあるようだ。
しかしながら、「思想信条も政府見解に右へ倣え!」、しかも日本人としての歴史や誇りを粉々に叩き潰す見解を「問答無用に呑め!」ということこそ士気への影響は甚大であるのではないか?
しかも、これもまたシビリアンコントロールとはマインドコントロールということになってしまうのだが。
何でもかんでもシビリアンコントロールと言えば通用するとなれば、これは既に宗教の世界である。
また、「不適切」なるコメントがあるが、不適切=違法行為ではない。
処分は違法行為があって初めて摘要されるのであり、不適切だからと処分するならば、法律は要らない。
何故ならば、今回さまざまな意見があるように、不適切とは多分に主観が入った判断だからである。
すなわち、不適切なる判断を以って処分することは、独断と偏見で処分することであり、法治国家の為すことではない。
「シビリアンコントロール」や「不適切」などの表現を以って、「問答無用!」と反対意見を封じ込めようとする態度は、自分たちの考えや行動に自信が持てない輩の常套手段である。
政治家や閣僚として国民の上に立つ者のやり方とは到底思えない。
何をそんなに怖がって、ビクついているのか?
今回の政府の、「速やかに処分を!」などと法律に基づく適正手続きを無視し慌てまくった様は、余りにも醜く、某元外務大臣が不法入国したならず者を取り調べもせずに鄭重に送り返した事件を思い浮かべざるを得ない。
このザマを見て、世界の常識人は呆れ返り、非常識人は手を叩いて喜んでいることであろう。
一体、シビリアンコントロールとは何なのか?
何故、シビリアンコントロールが叫ばれるようになったのか?
軍隊の独走を許してきた歴史への反省から、シビリアンコントロールの概念が出てきたのではないのか?
いうなれば、軍隊としての行動である職務執行をコントロールすることがシビリアンコントロールではないのか?
田母神氏はその職務上、自衛隊組織やその構成する隊員をコントロールしたのか?
論文、それも自衛隊の職務執行とは直接関連性のない考えを発表することが自衛隊組織やその構成隊員をコントロールした事になるのか?
これらの「シビリアンコントロール云々」の論法は、風が吹けば桶屋が儲かる式の論法であると言わざるを得ない。
一方、論文の内容や考えがシビリアンコントロールに違反するとのコメントもある。
それこそ、思想信条をコントロールすべきとの論であり、シビリアンコントロールとはマインドコントロールということになってしまうのだが、それでいいのか?
自衛隊員の士気に影響するとの意見もあるようだ。
しかしながら、「思想信条も政府見解に右へ倣え!」、しかも日本人としての歴史や誇りを粉々に叩き潰す見解を「問答無用に呑め!」ということこそ士気への影響は甚大であるのではないか?
しかも、これもまたシビリアンコントロールとはマインドコントロールということになってしまうのだが。
何でもかんでもシビリアンコントロールと言えば通用するとなれば、これは既に宗教の世界である。
また、「不適切」なるコメントがあるが、不適切=違法行為ではない。
処分は違法行為があって初めて摘要されるのであり、不適切だからと処分するならば、法律は要らない。
何故ならば、今回さまざまな意見があるように、不適切とは多分に主観が入った判断だからである。
すなわち、不適切なる判断を以って処分することは、独断と偏見で処分することであり、法治国家の為すことではない。
「シビリアンコントロール」や「不適切」などの表現を以って、「問答無用!」と反対意見を封じ込めようとする態度は、自分たちの考えや行動に自信が持てない輩の常套手段である。
政治家や閣僚として国民の上に立つ者のやり方とは到底思えない。
何をそんなに怖がって、ビクついているのか?
今回の政府の、「速やかに処分を!」などと法律に基づく適正手続きを無視し慌てまくった様は、余りにも醜く、某元外務大臣が不法入国したならず者を取り調べもせずに鄭重に送り返した事件を思い浮かべざるを得ない。
このザマを見て、世界の常識人は呆れ返り、非常識人は手を叩いて喜んでいることであろう。
この日本は法治国家ではなかったのか? 田母神氏の件について
田母神俊雄前航空幕僚長が、「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬだ」などと、1995年当時の村山富市首相談話を踏襲する政府見解と異なる内容の論文を発表したとして解任・降格された。
ところが、この手続きは、田母神氏が「懲戒に当たるかどうか議論したい」と言ったのに対し「論文に問題があるのは明らか。審理には長期間かかり、必要ないと判断した」として懲戒処分に関する審理を経ずに行われている。
懲戒処分は一種の刑罰であり、法治国家においては罪刑法定主義が適用され、適正手続きに基づいてなされなければならないことは自明の理である。
それにもかかわらず、今回の処分はその必要な手続きを一切省略してなされてしまった。
その理由について防衛省は、「論文に問題があるのは明らか。必要ないと判断した」とコメントする。
しかしながら、法律はその判断を正確なものとする為に「防衛大臣は(中略)審査会に対し(中略)調査を行うよう命じなければならない。」し、「(中略)懲戒処分を行おうとするときは、審査会の意見を聴かなければならない。」とされているのである。(自衛隊員倫理法第十二条)
すなわち、「その判断が正しいか」、「どこかに隠れた問題点はないか」を調査し、「それではどの法令に違反するので、どの処分が妥当か」について複数の審査員の頭脳を持ち寄り、結論を導き出そうとするのであって、この考え方は国会における二院制、裁判における三審制に合い通じるものである。
それらを一切否定する今回の防衛省の行為が許されるならば、「総理大臣が判断したから、国会の議決など必要ない」との極論さえ成り立ってしまうことになる。
まして、「審理には長期間かかる」からと、法律を無視して勝手に処分を行うとは、正に法治国家の崩壊であり、メチャクチャと言わざるを得ない。
ところで、田母神氏の論文発表は、防衛省がコメントするような「問題」、それも法令に違反するような点があるのであろうか?
国家公務員法第八十二条には、懲戒処分可能事案の対象としてとして、
一 この法律若しくは国家公務員倫理法 又はこれらの法律に基づく命令に違反した場合
二 職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合
三 国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合
とあるのだが、
国家公務員法第九十六条には、「すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し」とあるが、これには違反しない。
同じく第九十八条は「法令に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」、「公衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなし、又は政府の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない」とあるが、これにも違反しない。
一方、
自衛隊法第五十二条の「隊員は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し」
また、自衛隊員倫理規程第一条の「自衛隊員としての誇りを持ち、かつ、その使命を自覚し」
に至っては模範的自衛隊員であると言うことが出きる。
問題となるならば、
同じく国家公務員法第九十九条の「その官職の信用を傷つけ、又は官職全体の不名誉となるような行為をしてはならない」
自衛隊法第五十八条の「いやしくも隊員としての信用を傷つけ、又は自衛隊の威信を損するような行為をしてはならない」
であろうが、これは多くの人が意見の分かれるところであろうし、正にここに審議会の存在意義があるのである。
また、シビリアンコントロール云々の話もあるが、田母神氏は職務上自衛隊や隊員をコントロールしたのか?
論文を発表することが何処にシビリアンコントロールに違反するのか?
さらに、
日本国憲法第十三条には「すべて国民は(中略)公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
同じく第十九条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」、「(中略)一切の表現の自由は、これを保障する。」
と規定されている。
田母神氏の行為はこの条文にピタリと一致するのだが、自衛隊員は例外か?
穿った見方をすれば、
「審議会に諮れば処分できないだろうから、結論など出ないうちに処分してしまえ」だろう。
「懲戒に当たるかどうか議論したい」との田母神氏の要請を無視したことから見ると、あながち外れてはいまい。
さらに、退職金が話題になるとマスコミや世論に責任転嫁して「返せ」とのたまう。
今回の件は、田母神氏が法律に違反したのではなく、防衛省こそが法律に違反しているのである。
法治国家としての日本は、何処に行ってしまったのか。
ところが、この手続きは、田母神氏が「懲戒に当たるかどうか議論したい」と言ったのに対し「論文に問題があるのは明らか。審理には長期間かかり、必要ないと判断した」として懲戒処分に関する審理を経ずに行われている。
懲戒処分は一種の刑罰であり、法治国家においては罪刑法定主義が適用され、適正手続きに基づいてなされなければならないことは自明の理である。
それにもかかわらず、今回の処分はその必要な手続きを一切省略してなされてしまった。
その理由について防衛省は、「論文に問題があるのは明らか。必要ないと判断した」とコメントする。
しかしながら、法律はその判断を正確なものとする為に「防衛大臣は(中略)審査会に対し(中略)調査を行うよう命じなければならない。」し、「(中略)懲戒処分を行おうとするときは、審査会の意見を聴かなければならない。」とされているのである。(自衛隊員倫理法第十二条)
すなわち、「その判断が正しいか」、「どこかに隠れた問題点はないか」を調査し、「それではどの法令に違反するので、どの処分が妥当か」について複数の審査員の頭脳を持ち寄り、結論を導き出そうとするのであって、この考え方は国会における二院制、裁判における三審制に合い通じるものである。
それらを一切否定する今回の防衛省の行為が許されるならば、「総理大臣が判断したから、国会の議決など必要ない」との極論さえ成り立ってしまうことになる。
まして、「審理には長期間かかる」からと、法律を無視して勝手に処分を行うとは、正に法治国家の崩壊であり、メチャクチャと言わざるを得ない。
ところで、田母神氏の論文発表は、防衛省がコメントするような「問題」、それも法令に違反するような点があるのであろうか?
国家公務員法第八十二条には、懲戒処分可能事案の対象としてとして、
一 この法律若しくは国家公務員倫理法 又はこれらの法律に基づく命令に違反した場合
二 職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合
三 国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合
とあるのだが、
国家公務員法第九十六条には、「すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し」とあるが、これには違反しない。
同じく第九十八条は「法令に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」、「公衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなし、又は政府の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない」とあるが、これにも違反しない。
一方、
自衛隊法第五十二条の「隊員は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し」
また、自衛隊員倫理規程第一条の「自衛隊員としての誇りを持ち、かつ、その使命を自覚し」
に至っては模範的自衛隊員であると言うことが出きる。
問題となるならば、
同じく国家公務員法第九十九条の「その官職の信用を傷つけ、又は官職全体の不名誉となるような行為をしてはならない」
自衛隊法第五十八条の「いやしくも隊員としての信用を傷つけ、又は自衛隊の威信を損するような行為をしてはならない」
であろうが、これは多くの人が意見の分かれるところであろうし、正にここに審議会の存在意義があるのである。
また、シビリアンコントロール云々の話もあるが、田母神氏は職務上自衛隊や隊員をコントロールしたのか?
論文を発表することが何処にシビリアンコントロールに違反するのか?
さらに、
日本国憲法第十三条には「すべて国民は(中略)公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
同じく第十九条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」、「(中略)一切の表現の自由は、これを保障する。」
と規定されている。
田母神氏の行為はこの条文にピタリと一致するのだが、自衛隊員は例外か?
穿った見方をすれば、
「審議会に諮れば処分できないだろうから、結論など出ないうちに処分してしまえ」だろう。
「懲戒に当たるかどうか議論したい」との田母神氏の要請を無視したことから見ると、あながち外れてはいまい。
さらに、退職金が話題になるとマスコミや世論に責任転嫁して「返せ」とのたまう。
今回の件は、田母神氏が法律に違反したのではなく、防衛省こそが法律に違反しているのである。
法治国家としての日本は、何処に行ってしまったのか。
年金問題、民主党の強気の原因はどこにある?
年金の記録に関して、記載もれ、転記ミス、改竄と、まさに書類として考え得る悪事のオンパレードが次々と明らかになった。
これを受け、現在、自民党・公明党が率いる政府・厚生労働省がこれを受け悪戦苦闘している状態であるが、次から次に新たな難問が出てきてなかなか見通しが立ちそうにない。
これを見て、野党・民主党は「自民党などに解明できる筈がない。しかし、われわれ民主党ならばできる。政権を渡せ!」と、再三にわたり自身たっぷりにのたまう。
最初のうちは、「また、何時ものハッタリか?」と思っていたのだが、余りにもしつこい。
そこで考えたのだが、
民主党のバックには自治労をはじめとする労働組合がある。
また、それら出身の議員もいる。
当然、年金を担当した職員も、そのほとんどがこの中に含まれている。
彼らは、記載もれ、転記ミス、改竄をはじめとする年金の記録を極秘裏に厚生労働省から持ち出して隠しているのではないのか?
だから、自分たちが政権を取れば解明は可能だと自信を持って言えるのではないのだろうか。
そうでなければ、そんなに自信を持って堂々と言えるはずがないと思うのだが。
それとも、やっぱり相も変らぬハッタリか?
これを受け、現在、自民党・公明党が率いる政府・厚生労働省がこれを受け悪戦苦闘している状態であるが、次から次に新たな難問が出てきてなかなか見通しが立ちそうにない。
これを見て、野党・民主党は「自民党などに解明できる筈がない。しかし、われわれ民主党ならばできる。政権を渡せ!」と、再三にわたり自身たっぷりにのたまう。
最初のうちは、「また、何時ものハッタリか?」と思っていたのだが、余りにもしつこい。
そこで考えたのだが、
民主党のバックには自治労をはじめとする労働組合がある。
また、それら出身の議員もいる。
当然、年金を担当した職員も、そのほとんどがこの中に含まれている。
彼らは、記載もれ、転記ミス、改竄をはじめとする年金の記録を極秘裏に厚生労働省から持ち出して隠しているのではないのか?
だから、自分たちが政権を取れば解明は可能だと自信を持って言えるのではないのだろうか。
そうでなければ、そんなに自信を持って堂々と言えるはずがないと思うのだが。
それとも、やっぱり相も変らぬハッタリか?
日教組の策略?と、その失敗
この度、プリンスホテルが日教組の教育研究全国集会の会場提供を契約後に断ったことで全体会が中止になったとして、日教組がプリンスホテルや役員らを相手取って3億円超の損害賠償を求める訴訟を14日に東京地裁に起こすとのことである。
→http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/129708/
これは、日教組は昨年5月に使用申込契約を結んだが、プリンス側は同11月に契約を解除したため日教組は会場使用を求めて仮処分を申請し、東京地裁と高裁が仮処分を決定したにも拘らずプリンスホテルがあえて使用させなかったことを受けてのこと。
ところで、プリンスホテル側は次の通り述べている。(以下要点のみ抜粋)
→http://news.livedoor.com/article/detail/3551464/
周囲は住宅密集地で病院、学校など公共施設も多い。そこで開催された場合、街宣車の大騒音や周辺道路が封鎖されることで交通が麻痺し、大混乱に陥ると判断した。
同集会の前日、当日の2月1、2日は当ホテルの半径2キロメートル圏内で入試があり、約7000名の生徒さんが受験する予定だったことだ。当ホテルにも受験生450人が宿泊していた。
厳戒態勢のなか、身分証明書を提示して検問を通過し、大騒音のなかで受験しなければならなくなったら、受験生やご家族の長い間の努力の成果が存分に発揮できるだろうか。
必死に頑張ってきて極度の緊張のなかにいる受験生を、物々しい厳戒態勢と大騒音のなかに送り出すわけにはいかない。
「基本的人権」も大切だが「公共の福祉」も同じように大切であると、われわれは考えた。
全体集会は過去にどのプリンスホテルでも経験はなく、(このため判断が甘かった点はあろうが最終的に)私たちは、お客様、近隣の方々の安心安全を優先した。苦渋の決断だった。
―以上、引用―
プリンスホテルの対応は、極めて良心的ではないか。
しかしながら、これに対する日教組の対応は、(以下、同じく抜粋)
(「受験生への配慮」について、日教組からは)特別の反応はない。
とのこと。
さらに、プリンスホテルは、
「誤解を恐れずに言えば、全体集会を取りやめたのは日教組側だ。解約した11月から今年2月まで3ヵ月間あった。代替会場を探す余裕はあったのではないか。」
とも述べていて、質問した報道関係者も「実は代替会場は確保されており、それがあえてキャンセルされたという情報もある」とも述べている。
不思議なのは、日教組は「何故ここまでプリンスホテルに拘ったのか?」ということだが、
これらから穿った見方を以って推察すると、日教組は、
1.プリンスホテルの人の良さにつけ込んで全体集会を行い
2.右翼の街宣車を回りに集結させて大音響での街宣活動を行わせ
3.受験生たちを初めとする人たちに甚大なる被害を与えさせ
4.世論をして右翼を非難させ
5.日教組も同じ被害に遭ってきたことを国民にアピールし、同情をかう
ことを狙っていたのではなかろうか。
そうでなければ、仮処分を申請するまでして会場を確保しようとしたにも拘らず「確保されていた代替会場をあえてキャンセル」した理由が見当たらない。
又、プリンスの「一部に誤解があるのだが、警察に警備を要請するのは日教組であり、われわれではない。」との発言もこの見方を補強する。
したがって、仮処分を申請したことは単なるパフォーマンスに過ぎなかったのではないか?
この日教組の策略にまんまとしてやられ、協力させられたのが、
「当初から、受験生への配慮が解約の最大の理由だったことをプリンスホテル側は説明していたが、ほとんどのメデイアは報道のなかで触れてこなかった。」(プリンスに質問した報道関係者)
といわれるマスコミである。
この日教組の策略を反故にさせたプリンスホテルに拍手を送りたい。
→http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/129708/
これは、日教組は昨年5月に使用申込契約を結んだが、プリンス側は同11月に契約を解除したため日教組は会場使用を求めて仮処分を申請し、東京地裁と高裁が仮処分を決定したにも拘らずプリンスホテルがあえて使用させなかったことを受けてのこと。
ところで、プリンスホテル側は次の通り述べている。(以下要点のみ抜粋)
→http://news.livedoor.com/article/detail/3551464/
周囲は住宅密集地で病院、学校など公共施設も多い。そこで開催された場合、街宣車の大騒音や周辺道路が封鎖されることで交通が麻痺し、大混乱に陥ると判断した。
同集会の前日、当日の2月1、2日は当ホテルの半径2キロメートル圏内で入試があり、約7000名の生徒さんが受験する予定だったことだ。当ホテルにも受験生450人が宿泊していた。
厳戒態勢のなか、身分証明書を提示して検問を通過し、大騒音のなかで受験しなければならなくなったら、受験生やご家族の長い間の努力の成果が存分に発揮できるだろうか。
必死に頑張ってきて極度の緊張のなかにいる受験生を、物々しい厳戒態勢と大騒音のなかに送り出すわけにはいかない。
「基本的人権」も大切だが「公共の福祉」も同じように大切であると、われわれは考えた。
全体集会は過去にどのプリンスホテルでも経験はなく、(このため判断が甘かった点はあろうが最終的に)私たちは、お客様、近隣の方々の安心安全を優先した。苦渋の決断だった。
―以上、引用―
プリンスホテルの対応は、極めて良心的ではないか。
しかしながら、これに対する日教組の対応は、(以下、同じく抜粋)
(「受験生への配慮」について、日教組からは)特別の反応はない。
とのこと。
さらに、プリンスホテルは、
「誤解を恐れずに言えば、全体集会を取りやめたのは日教組側だ。解約した11月から今年2月まで3ヵ月間あった。代替会場を探す余裕はあったのではないか。」
とも述べていて、質問した報道関係者も「実は代替会場は確保されており、それがあえてキャンセルされたという情報もある」とも述べている。
不思議なのは、日教組は「何故ここまでプリンスホテルに拘ったのか?」ということだが、
これらから穿った見方を以って推察すると、日教組は、
1.プリンスホテルの人の良さにつけ込んで全体集会を行い
2.右翼の街宣車を回りに集結させて大音響での街宣活動を行わせ
3.受験生たちを初めとする人たちに甚大なる被害を与えさせ
4.世論をして右翼を非難させ
5.日教組も同じ被害に遭ってきたことを国民にアピールし、同情をかう
ことを狙っていたのではなかろうか。
そうでなければ、仮処分を申請するまでして会場を確保しようとしたにも拘らず「確保されていた代替会場をあえてキャンセル」した理由が見当たらない。
又、プリンスの「一部に誤解があるのだが、警察に警備を要請するのは日教組であり、われわれではない。」との発言もこの見方を補強する。
したがって、仮処分を申請したことは単なるパフォーマンスに過ぎなかったのではないか?
この日教組の策略にまんまとしてやられ、協力させられたのが、
「当初から、受験生への配慮が解約の最大の理由だったことをプリンスホテル側は説明していたが、ほとんどのメデイアは報道のなかで触れてこなかった。」(プリンスに質問した報道関係者)
といわれるマスコミである。
この日教組の策略を反故にさせたプリンスホテルに拍手を送りたい。
天体・原子の大きさ比較
イージス艦事故、国民挙って平和ボケ?
今回のイージス艦と魚船との衝突事故、
どちらに回避義務があるか、2分前に発見か、などと喧しい。
さらに、軍事専門家などは「小さい漁船などはイージス艦のレーダーには映りにくい」などと述べている。
イージス艦『あたご』の乗組員がボヤーッとしていたのは間違いなかろうが、マスコミ、政府関係者、軍事専門家までもが平和ボケしてしまったのか?
イージス艦は軍艦である。
しかも、最新鋭の。
ならば、何時如何なるときでも、何処にあろうとも、
常に警戒・監視を怠たらず、非常時に備えることが、その課せられた唯一最大の任務のはずである。
もしも今回の漁船が、潜水艦から発射された魚雷であったなら、
爆弾を積んだテロリストの船であったなら、
イージス艦『あたご』は今頃海の藻屑となって、世界中の笑いものになっている可能性が高いのだ。
今回の事件で、イージス艦は空からの攻撃には強いが、海面又は海中からの攻撃にはまったく手も足も出ないことを世界中に知らしめてしまった。
しかも、そのことに気付いているのかいないのか、この論点に言及する意見が全くない。
日本国民挙って、平和ボケしてしまったようだ。
(追記)
万一、何者かが日本に攻撃を仕掛けてきたとき、
「どこかが攻撃を受けたから」、「攻撃されるとの情報がはいったから」、あるいは「指令を受けたから」改めて細心の注意を払う。
通常の兵力を担う部署であればそれでも一応はいいかもしれない。
しかし、イージス艦は敵の動きをいち早く察知して即座に対処すべき任務を負い、そのように作られた最新鋭のハイテク軍艦である。
敵が攻撃を仕掛けてくる際は、このイージス艦に対し一番初めに、しかも覚られないように攻撃してくるのは戦術上当然のことである。
すなわち、どこか外のところが攻撃を受けたときには、既にイージス艦は攻撃を受けてしまって終わった後なのだ。
そうなれば、宝の持ち腐れどころか、日本国及び日本国民に対する重大な背信行為となる。
したがって、「イージス艦の目的は何か」を常に肝に銘じて乗組員が行動していれば、今回の事故はまかり間違っても起こり得ていないだろうことは想像に難くない。
「たかが漁船だから」「相手が避けてくれるだろう」などとの今回のような生易しい根性はまかり間違っても持たない自衛官だけが乗り組んで欲しいと願う。
どちらに回避義務があるか、2分前に発見か、などと喧しい。
さらに、軍事専門家などは「小さい漁船などはイージス艦のレーダーには映りにくい」などと述べている。
イージス艦『あたご』の乗組員がボヤーッとしていたのは間違いなかろうが、マスコミ、政府関係者、軍事専門家までもが平和ボケしてしまったのか?
イージス艦は軍艦である。
しかも、最新鋭の。
ならば、何時如何なるときでも、何処にあろうとも、
常に警戒・監視を怠たらず、非常時に備えることが、その課せられた唯一最大の任務のはずである。
もしも今回の漁船が、潜水艦から発射された魚雷であったなら、
爆弾を積んだテロリストの船であったなら、
イージス艦『あたご』は今頃海の藻屑となって、世界中の笑いものになっている可能性が高いのだ。
今回の事件で、イージス艦は空からの攻撃には強いが、海面又は海中からの攻撃にはまったく手も足も出ないことを世界中に知らしめてしまった。
しかも、そのことに気付いているのかいないのか、この論点に言及する意見が全くない。
日本国民挙って、平和ボケしてしまったようだ。
(追記)
万一、何者かが日本に攻撃を仕掛けてきたとき、
「どこかが攻撃を受けたから」、「攻撃されるとの情報がはいったから」、あるいは「指令を受けたから」改めて細心の注意を払う。
通常の兵力を担う部署であればそれでも一応はいいかもしれない。
しかし、イージス艦は敵の動きをいち早く察知して即座に対処すべき任務を負い、そのように作られた最新鋭のハイテク軍艦である。
敵が攻撃を仕掛けてくる際は、このイージス艦に対し一番初めに、しかも覚られないように攻撃してくるのは戦術上当然のことである。
すなわち、どこか外のところが攻撃を受けたときには、既にイージス艦は攻撃を受けてしまって終わった後なのだ。
そうなれば、宝の持ち腐れどころか、日本国及び日本国民に対する重大な背信行為となる。
したがって、「イージス艦の目的は何か」を常に肝に銘じて乗組員が行動していれば、今回の事故はまかり間違っても起こり得ていないだろうことは想像に難くない。
「たかが漁船だから」「相手が避けてくれるだろう」などとの今回のような生易しい根性はまかり間違っても持たない自衛官だけが乗り組んで欲しいと願う。
教科書検定意見の撤回を求める沖縄県民大会の虚実
教科書検定意見の撤回を求める沖縄県民大会に関して、
読売新聞の記事には、
集団自決が日本軍の関与なしに起こり得なかったとする大会決議を採択
吉川嘉勝さん(68)は、(中略)軍の関与があったとの認識を強調
→http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070929it13.htm
毎日新聞では、
仲井真知事も「日本軍の関与は覆い隠すことのできない事実」
→http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070930k0000m040064000c.html
朝日新聞は、
「教科書から軍の関与を消さないでください。」
→http://www.asahi.com/national/update/0930/TKY200709300001.html
と、書かれている。
これらの何処にも『軍の関与』の記述はあっても、『軍に強制された』との記述はない。
強いて見い出そうと試みるならば、
「兄は軍の玉砕命令が下りたと言っていた」軍の命令をうかがわせる新たな証言(毎日新聞)
であるが、これはあくまでも伝聞である。
当時、多くの沖縄の人たちが関係していたにもかかわらず、強制に関する直接的証言が皆無なのである。
ましてや、
津嘉山さんは会場の参加者に語りかけた。「死を求める住民が毒の入った注射器の前に列をなし…。」(朝日新聞)
との記事は、強制されてではなく、『住民自らが求めた』との証言ではないか。
「東京を始めとする無差別絨毯空爆を行うようなアメリカ軍の捕虜になればとんでもないことになる。自決したほうが…。」との噂が広まり、
「自決するには武器が要る。」、「それでは、軍のを使えばよい。」とのやりとりは同じ日本人どうし、当然あったと推測できる。
したがって、消極的な部分での関与まで否定は出来ないだろうから、
「『軍の関与があった』との記述を求める」のならば、話はわかるが、
此処から直ちに、
「大会は旧日本軍の命令、強制、誘導などの表現が削除された教科書検定を厳しく批判。検定意見の撤回と集団自決を巡る強制性の記述回復を求める…。」(毎日新聞)
がどうして出て来るのか?
「社会・歴史教科書の記述は、国語で教える日本語の使用法に忠実でなくても良い。」
とでも言うのだろうか?
日本語の使い方が乱れていると言われる。
「乱れついでにドサクサに紛れて、何が何でも圧力をかけて押し通せ!」との意図か?
これでは、テロだ!
読売新聞の記事には、
集団自決が日本軍の関与なしに起こり得なかったとする大会決議を採択
吉川嘉勝さん(68)は、(中略)軍の関与があったとの認識を強調
→http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070929it13.htm
毎日新聞では、
仲井真知事も「日本軍の関与は覆い隠すことのできない事実」
→http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070930k0000m040064000c.html
朝日新聞は、
「教科書から軍の関与を消さないでください。」
→http://www.asahi.com/national/update/0930/TKY200709300001.html
と、書かれている。
これらの何処にも『軍の関与』の記述はあっても、『軍に強制された』との記述はない。
強いて見い出そうと試みるならば、
「兄は軍の玉砕命令が下りたと言っていた」軍の命令をうかがわせる新たな証言(毎日新聞)
であるが、これはあくまでも伝聞である。
当時、多くの沖縄の人たちが関係していたにもかかわらず、強制に関する直接的証言が皆無なのである。
ましてや、
津嘉山さんは会場の参加者に語りかけた。「死を求める住民が毒の入った注射器の前に列をなし…。」(朝日新聞)
との記事は、強制されてではなく、『住民自らが求めた』との証言ではないか。
「東京を始めとする無差別絨毯空爆を行うようなアメリカ軍の捕虜になればとんでもないことになる。自決したほうが…。」との噂が広まり、
「自決するには武器が要る。」、「それでは、軍のを使えばよい。」とのやりとりは同じ日本人どうし、当然あったと推測できる。
したがって、消極的な部分での関与まで否定は出来ないだろうから、
「『軍の関与があった』との記述を求める」のならば、話はわかるが、
此処から直ちに、
「大会は旧日本軍の命令、強制、誘導などの表現が削除された教科書検定を厳しく批判。検定意見の撤回と集団自決を巡る強制性の記述回復を求める…。」(毎日新聞)
がどうして出て来るのか?
「社会・歴史教科書の記述は、国語で教える日本語の使用法に忠実でなくても良い。」
とでも言うのだろうか?
日本語の使い方が乱れていると言われる。
「乱れついでにドサクサに紛れて、何が何でも圧力をかけて押し通せ!」との意図か?
これでは、テロだ!









